ちょろの癒し部屋【スピリチュアルブログ】

ワクワクと癒しを提供しようと、毎日スピリチュアルブログを更新しています。

きっと「空も飛べるはず」だったんだ

おはようございます。

ちょろです。

今朝も早朝よりのブログ更新。気温は4℃。まあ寒いです。

2月ももうすぐ終わり。一昨日の焼き肉の匂いも緩和され、通常運転に戻ってまいりました。w

 

さて、昨日は田舎の自宅から更に更に田舎へ、、、ドライブ、、

 

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どどどどどど、、、、

 

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ごごごごごご、、、

 

うん。本当に何もない。何もないところです。

ただ、、空気はめっちゃ美味しいです。自宅近辺よりも美味しい。

しかも、騒音無し。静かです実に静か。

 

見渡す限りの畑に畑。

農協が土地を安く貸して農業従事者を支援してる地域なんですねー。

だから、UターンとかIターンで来てる都会の人も結構いらっしゃいます。

ただ、なかなか「大金持ち」になることは難しい様で悪戦苦闘されながら農業をされているようです。

 

まあ、健康には抜群にいいですよねー。ペースもマイペースだし。

(自然相手の商売は休みも無くて大変だけど、、)

 

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昨日はあいにくの曇り空で、こんなにどんより曇ってるけど。

晴れたら結構爽快な場所なんですよねー。

そんな田舎の田舎を飛べたらきっと気持ちいだろうなー。なんて思いながら、、散歩を楽しみました。

 

鳥には鳥の苦労が、人には人の苦労が

空を飛び回る鳥。本当に自由そうで僕達人間からしてみれば結構あこがれの対象。

「あんな風に自由に空を飛び続けられたら気持ちいいだろうなー。」「何の障害もない空を飛んで、自分の好きなところへ巣を作って休む。まさに自分のペースのスローライフ。」

ちょっと憧れですよね。僕達人間は日々生きるためにあくせく働いてお金を得て、家を買って、ご飯を買って、嫌な事も我慢して、人間関係にも悩まされて、

生きるだけで疲れてしまいます。

人間って辛いわー。って思いますねー。

んで、空を見上げて「鳥って羨ましいなー」って思うわけです。

 

でも、鳥から見れば「人間って便利そうな世界で生きていて羨ましいなー」なのかもしれませんね。

自分たちには作れない物を沢山作りだしているのも人間です。

鳥は人間がどんな生活をしているか理解はしていないでしょうが、自分たちには持っていない「文明」をもっていることは分かっているかもしれません。

 

人間が自然を破壊して自分たちの住処を脅かしていることも憎く思っているかもしれません。でも、人間の作り出す「料理」の美味しさは忘れられない味でしょう。

 

僕達人間は「鳥にあこがれ」、鳥は「人間にあこがれ」。まさに「隣の芝は青い。」ですね。

 

その環境になってみないと分からない「いいところ」と「悪いところが在るのかもしれません」

鳥は毎日の食事を得るだけでも一苦労でしょう。

殺されないように獲物を捕るまでにどれだけの神経をすり減らすのかは計り知れません。

 

僕達人間には到底耐えられないほどのストレスかもしれませんね。

 

今、人間として存在していること

今、僕達は人間として存在しています。

たまたま、意識が人間という肉体に宿っています。

それも、たまたまです。ひょっとしたら「鳥」の肉体としてこの世に存在した可能性も否定できません。しかもそれは「偶然」でなくて前世の自分が選んで「人間」になったのかもしれません。

ひょっとしたら、「鳥」の方を選べたのかもしれません。

神様と産まれる前に相談して「人間」の方を選んだのかもしれません。

それは誰にも分からないことですが、「人間」の方を選んでしまった自分の意識には必ず何かの意味があるのでしょう。

僕達が「意識」できる「顕在意識」は僕達の中のわずかな部分です。

意識の奥深くには「無意識的な領域」の「潜在意識」が存在します。

しかもその潜在意識は顕在意識の2万倍のパワー。

前世で何かがあって潜在意識が敢えて人間を選択してしまっている可能性も否定できないわけです。

 

そうすると、、、やっぱり僕達が今この肉体でここに存在する。

このことには非常に大きな「価値」があることは当然の事でしょうね。

 

今、僕達が存在する意味がこの地球や宇宙にはあるわけです。

だって、価値が無かったら別に「鳥」でも良かったわけですから。

鳥には鳥の存在意義があり。人間には人間の存在意義があります。

 

鳥に出来ることと人間に出来ることは違う。だから良い。

人間は鳥にあこがれ、鳥は人間にあこがれ。

そして、それぞれの持つ能力は全く違います。

でも、鳥がいてくれるから僕達人間は在れて。

人間がいるから現代の鳥も鳥としていれるわけです。

どちらが欠けても宇宙には存在できない。まさに摂理です。

 

互いが互いを尊重して生きているのです。

共に尊い存在。しかも何かを伝えあうために生きているのですね。

本能的には「ただ、生きたい」って感情だけですが、無意識的にはもっと多くの意味を持って存在しているのでしょう。

 

病気にも意味があるのかもしれない。残酷すぎる。

先日芸能人の「堀ちえみ」さんが癌を告白された。

衝撃的です。写真を拝見する限り元気そのもの。

堀さんご自身は恐怖や不安や絶望、病気に対する憎さで心はいっぱいだったのかもしれません。

僕は癌を経験したことがないのでどんな感情でどんな行動を起こしてしまうかは想像も出来ません。きっとまともに生きる事は出来ないでしょう。

 

堀さんはご家族の支え、ファンの支え、日本国民の支え、の中で前向きに病気と闘っていかれることを決断されたそうです。

今まで以上に周りの力を感じられていることでしょう。

そして、エールを送る方々も今まで以上に堀さんを愛していることでしょう。

 

悲しいけれど、そこには意味もあるんでしょうね。

愛にはそういう刹那的なものも含まれるのかもしれません。

 

堀さんが前向きに戦ってくださることに勇気をもらい。そしてエールを送る方々は堀さんに勇気を与え。

そんな関係を理解することで僕達は「愛」を感じるのかもしれません。

堀さんは命をかけて「愛」を教えて下さっているのかもしれませんね。

人として生きる意味も改めて考えさせられます。

 

僕達は今、生きてるだけで幸せなんです。

欲望を持つことも自然。理不尽だと憤ることも自然。

願いが叶って幸せになることも自然。愛を感じることも自然。

どれも生きてるってことですね。

 

だから、この世に価値のない人はいません。

自分の価値を自分で認めて「愛」をきちんと受け止めて。

今生きていられることの有難みを分かって、今の時間を全力で生きたいものです。

全ての事に価値がある。