ちょろの癒し部屋【スピリチュアルブログ】

ワクワクと癒しを提供しようと、毎日スピリチュアルブログを更新しています。

便利グッズのように欲しくなるのが人間の心理

おはようございます。

ちょろです。

 

なぜかめっちゃ早い時間に寝てしまい、めっちゃ早い時間に起きてしまいました。

しかも、夜中にお腹が痛くなり、、トイレの住人です。

 

なぜ僕が早朝から苦しめられるのか?それは激辛ソース「サドンデスソース」のお陰です。

我が家では「激辛便利グッズ扱い状態」なのです。

2019年の我が家の食卓ではかなりの頻度で登場しています。

 

今回はこの我が家の激辛便利グッズ「サドンデスソース」を例にして、なぜ人は生きていれば欲しくなるのか?をまとめていきます。

 

結論的に言えば、

 

欲しがるから生きている

 

ということです。では書いていきます。

 

辛さを感じられる便利グッズ「サドンデスソース」

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我が家の激辛便利グッズ2019「サドンデスソース」

 

サドンデスソースにかかると僕のお尻はこうなります。

 

おしりが痛い。

 

昨日作ったパスタに「サドンデス デスソース」をちょびっと振りかけて食べたことが原因だと思います。

 

ほんまにちょびっとですよ、、10円玉か500円玉くらいポトっと落として食べたら、、トイレの住人ですよ。。

 

なぜ、あの時辛さの誘惑に負けてしまったんだ。と後悔しても時すでに遅し。

トイレの中で後悔するしかありません。

 

「サドンデス デスソース」の凄いところは、、「唐辛子の香り」です。本当にリピートしたくなるくらいの香りがするんです。

 

一度食べてみたら、必ず次も欠かせないくなる。毎回トイレの住人にならなくちゃいけないのにそのことも忘れて振りかけてしまいます。

 

本当です。忘れるんですよ。苦痛を忘れるくらいの美味さ。

 

やっぱり、麻薬でもはいってんじゃねーか?と疑いたくなるレベルです。

 

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ちなみに昨日のデスソースターゲットはこちらです。

次作のペペロンチーノ。めっちゃオイルの量を増やしてぬるぬるにしてあります。

 

この時点では、デスソースの魔の手にはかかっていません。。

この後、デスソースによって悪魔の食べ物に変化していくわけです。

 

なぜサドンデスソースは辛いのか?

なぜ激辛便利グッズサドンデスソースはこんなにも辛いのでしょうか?

それは、「ブートジョロキア」という世界で一番辛い唐辛子を余すことなく注入しているせいです。

この「ブートジョロキア」と「ハバネロ」のダブルパンチで辛さの神髄を教えてくれます。

しかも、「唐辛子の香りが最高に良い」というのがこのソースの素晴らしいところです。

だから欲しくなってしまうのです。

 

生きているから欲しくなる心理

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僕達は生きています。

幸せを感じるために生きています。幸せを感じようとしますが、幸せだけを感じることは普通はあり得ません。幸せの概念を理解する前に必ず苦しみの概念を理解するから。

 

昨日の僕は激辛便利グッズサドンデスソースの辛さによる「幸せ」を感じる為に生きていたに違いありません。

 

幸せの基準を自分の中に設けるために苦しみの基準も自分の中に作るのが普通です。

そして、生きていて全ての事が自分の思い通りになることもありえません。

 

この地球上には70億人の人が住んでいて70億通りの価値観が存在します。

その70億通りの価値観全て望み通りにいかせようと思うとどこかに歪みが出てしまうのは当然の事だからです。

 

でも、僕達は全ての事を何とか自分の思い通りにさせようと毎日頑張って生きています。毎日頑張って毎日頑張って、全てが思い通りになるわけがないのに「どうして自分だけこんなに苦しまなきゃいけないんだ」と自分を責めて生きています。

 

特に日本人はクソ真面目な為よけいに思います。

「無理をして苦労しているんだから自分の願いは必ず叶って当然だ!」と心のどこかで信じているから。

叶う可能性もあれば叶わない可能性もあるのが普通なのに「頑張れば必ず叶う」とどこかで信じています。

 

 

そして、自分の思い通りにいかなかったらまず最初に責めるのが「自分」です。

 

今朝の僕はサドンデスソースに八つ当たりです。

 

自分の能力がないから思い通りにいかなかったんだ。と自分の生き方を否定してしまいがちです。

 

 

どんなに能力がある人でも「思い通りにいくこともあれば思い通りにいかないこともあります」それが自然な姿です。

だから、それが当たり前なんだと思えればきっともっと幸せに生きられるんじゃないでしょうか?

でも、なるべく自分の思い通りに生きたい。その苦しみをも楽しめればきっともっと幸せです。

 

便利グッズなんて望まないのが幸せ?

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幸せに生きるためには「望まない事」も大切です。

 

誰が激辛便利グッズ「サドンデスソース」を望んだのでしょう。

初めから望まなければ今朝の僕は幸せだったかもしれないのです。

 

夢も希望も願望も欲望も全てを捨て去れば苦しみも感じません。仏教の教えですよね。

めっちゃ修行をして、欲を捨て去る。欲が無ければ苦しみからは解放される。

 

欲がフッと湧いてくるからまた苦しみも湧いてくる。

 

でも、それってどうよ??楽しい??

 

そう、望まないって言うのは無欲で生きるってこと。

無欲で生きるって、、生きた心地がしないような気がしませんか??

 

僕は欲まみれで生きたいと思います。だって自分のやりたいことや欲しい物沢山あるし、まだ行ったことも無い場所も沢山あるし、行ってみたいし。

 

もっと激辛ソースも食べたいのです。

 

生きている限り欲を完全に捨て去ることは不可能。お坊さん以外はきっと不可能です。

そんな修行をして無欲になりたいですか??もしそれが望みならお寺に出家してお坊さんになればいいのでしょう。

 

でも、僕は願望まみれだからまずは自分の欲しい物を手に入れたい!!

で、どうするか??

 

やっぱり、上手くいくか上手くいかないか分からないけれど、毎日諦めずにチャレンジするしかない。全ての事が思い通りにはいかないけれど、思い通りにいかないことが当たり前でチャレンジすることを楽しめたらそれはそれで幸せなのかもしれない。

 

毎日、疲れるまで行動し続ける。欲を欲しがり続ける。チャレンジし続ける。

 

心が体が疲れるまで。どんどんどんどん山を登ろうと挑戦を続ける。

その時に感じたストレスが実は願望を引き寄せるパワーになる。ストレスを感じていつの間にか自分はレベルアップしていたりもする。

 

昨日の自分より今日の自分はレベルアップしているんだから願望にちょっとだけ近づいている可能性が高い。

 

そうやって毎日毎日積み上げていく。思い通りにいかない事すなわち「失敗」を繰り返してストレスを感じながら毎日毎日積み上げる。

 

 

極限状態まで達した時に「疲れて休む」本当に身も心もボロボロ。この状態の時に休む。とことん休む。

 

今朝の僕は完全に激辛サドンデスソースに疲れ果てさせられていました。お尻はグロッキーです。

 

僕達が意識していないところで本当は世界が変わり続けている。この世に変化しない物は無く、常に変化をし続けている。

 

その「ボロボロの極限状態で解放されたストレス」が世界を変えてくれる。

世界を願望へ一歩近づける。しかもその時のあなたのレベルは過去のあなたのレベルより高くなっている。知らず知らずのうちに自分の力で願望に近寄っている。

 

でも、ここでもそう。「全ての物が自分の思い通りにいくとは限らない」だから、また願望を引き寄せようとチャレンジする。チャレンジして疲れたら休む。この繰り返しをどんどん楽しむ。

 

振り返ってみると、、「意外と願ったことって叶ってるね」って思う。

忘れた頃に願いは叶っている。昔夢見たものが今はちょっとだけ当たり前の様に目の前にあったりする。

 

 

願い事を強く強くイメージし続けて、がむしゃらに走り続けて、毎日を楽しむ。

昨日の時点で誰が「こんなにお尻が痛くて苦しむ僕」を想像できたでしょうか?

 

いつの間にかどこへ向かっていたのかも忘れる。忘れた頃に願望が「当たり前」になっている。それが本当は幸せ。何も望まない状態と近い場所にいる。実はね、、。

 

だから、今思い通りにならないことが沢山あってOK。しかもどんなに願いが叶い続けても新たな願望は自然と湧いてくる。それが生きてるって事。

 

願望から目を背けるのも幸せになる方法だし、がむしゃらに挑戦し続けて失敗し続けることも幸せになる方法。苦しみの中にも本当は楽しさがあるってことかな。

 

全ての物事を100%自分の思い通りに出来てる人なんてこの世にはいないのです。

 

便利グッズなんてものはただの欲です。望まない方が確実に幸せになれます。

ただし、そこには人間の欲が関係しています。

 

それでも自然と欲しくなるもの

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どんなに便利グッズを望まないと思い込んでも「必ず欲しくなる」のが人間です。

その欲を満たすために僕達は生きているので当然ですね。

 

昨日の場合ですと「激辛ソースサドンデスソース」の辛味と旨味を味わうために僕は生きていたのです。それが我が家の激辛便利グッズであるサドンデスソースに対する僕の欲です。

 

 

どんなに我慢しても欲しくなるのは人間として当然の事です。

 

その「欲しくなる」ということで生きていることを実感出来ているわけです。

激辛を味わうために僕達は生きているわけです。

 

その欲から目を背けずに常に受け入れて生きていきたいものです。

そこに本当の幸せがあるのかもしれませんね。

 

最後に

いかがでしたでしょうか?

今回は我が家の激辛便利グッズ2019「サドンデスソース」をなぜ僕が欲しがってしまうのか?をスピリチュアル的に書いてきました。

 

欲があるから生きている。そして、その欲があるからワクワク出来るのが僕達なのです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。