おはようございます。
ちょろです。
日本人は無宗教??本当でしょうか??
そして、無宗教っていいことなんでしょうか?
今日はそんなテーマで記事を書いていきます。
価値観の幅を広げる宗教
突然ですが、昨日僕が食べた「蕎麦」です。
休肝日の日はいつもお蕎麦をいただきます。
これが、「日本の心」を感じられていいんです。
歴史を調べてみると約1300年位前から蕎麦の生産は日本で行われていたようです。
恐るべき歴史です。
1300年くらい前というのは奈良時代。ナクヨウグイス平安京の時代でございます。
もちろん、この時代には宗教というものが深く存在していました。仏教の時代ですよね。お寺も数多く建設されていました。
昔の日本は、今よりも自然災害も多く、病気で早く亡くなる方も多かったため、何か信仰の対象が無いと心が鬱になってしまうので「宗教」を重んじる人が多かったのでしょう。
しかも、江戸時代になると、キリスト教の弾圧の為に一家に一つ「仏教」でした。檀家としてどこかのお寺に属していなければいけない制度がありました。そうやってキリスト教を排除していきます。
そして、現代。
まず、現代社会ではどんな年間宗教イベントがあるのでしょうか??
1月1日:初詣に行く(神社)
2月3日:節分(お寺)
3月3日:ひな祭り(神事に関係か?)
10月末:ハロウィン(キリスト教)
12月24日:クリスマス(キリスト教)
12月31日:大晦日(お寺で除夜の鐘をきく)
その他、結婚式は神前や教会で挙げたりしますし、お葬式は殆どのお宅が仏教のお葬式ではないでしょうか??
なのに、世の中では「自分は無宗教です」と胸を張って言う日本人が殆どです。
こんなにも沢山の宗教と関わっているのに!!!
宗教を勉強すると価値観が広がります。
現代社会は豊かな社会で「神」や「仏」の存在を否定している社会です。
つまり、「勘」や「感覚」で説明することを嫌う風潮があります。
「理論」がきちんと通っていないと誰も認めてくれない社会なのです。
でも、この宗教(神教、仏教、キリスト教など)は特定の人を崇めて「理屈では説明できないこと」に重きを置いています。
現代社会では「バカバカしい」と相手にはしてもらえないですが、「理屈では説明できないこと」を感じることで価値観の幅は間違いなく広がります。
世の中には理不尽な事が多い
何度もブログで書いていますが、「全ての事が自分の思い通りになる生き方などありえません」
世界はとっても理不尽です。子供の頃にも沢山感じますが、大人になって社会に出て働くようになるとより一層感じるようになります。
大人になって「お金を稼ぐ」為に働くようになると、人間は生活の為に必死に生きるようになります。真剣に仕事でお金を稼ごうとすると、子供の頃より「エゴ」は必ず強くなります。(精神的には成長しているので表には出さないだけ)
エゴが強くなると、自分の価値観とは違う人と必ず出会います。すぐ隣で一緒に働いている人、暮らしている人、友達として付き合っている人、家族。みんな価値観は違います。全く一緒の人は絶対に居ません。生まれ持った遺伝子も違えば、育ってきた環境も違うからです。
どちらか一方の「エゴ」を中心に物事を考えると相手は我慢することをしなければいけないのが普通です。
大人になると「話が折り合った」と言って双方が合点するところで結論を出しますが、それは「どちらかが我慢した状態」です。
人と人が共同生活する以上、これはもう絶対に避けては通れないことなのです。
誰かが何かを我慢した状態は必ずあります。
もし、我慢したくなければなるべく人と関わらない生き方をするしかありません。
人と関わらなければ「我慢」はありませんが、社会生活の中で人間が100%一人で生きていくことは無理です。
となってくると、やはりどこかで我慢をする、つまり「ストレス」を感じながら生きる事が必ず起こってしまいます。
その価値観のずれによるストレスは、「自分の持っている理屈」だけでは解決できません。「相手の持っている理屈」と「自分の持っている理屈」でちょうどいいところを探して互いが我慢しあうしかないのです。
もし、その交渉の相手が自分より立場の高い人であれば、自分の理屈は採用されないことが殆どでしょう。自分が我慢することになります。
それでも、現代社会を生きる人間は生きていくためにお金を必要とするのでお金を貰うために、いくらか我慢をすることがあるはずです。
(ここが現代社会人の辛いところ)
自分の持っている理論が正しいと思っているのに、権力がある人の理論に合わせていかなければいけない。これはとても理不尽に感じます。どんなに自分の意見を言っても通らないこともあるのです。
会社という一つの価値観ではない心の拠り所「宗教」
「会社が全て」という生き方を頑張ってきた時代は終わりました。
会社以外の価値観を持って生きていくべき時です。
会社で頑張って成果を出そうとすることは大切な事です。
でも、自分の思い通りに行かない事やどうしても思い通りに行かない事はあります。
それは経営者になっても同じことだと思います。
そんな時に人の心の拠り所の一つになってくれるのが「宗教」です。
外国の方が「おお神よーー!」とか言って、最後は「神頼みかよ!!」って思いますが、それくらいに自分の力ではどうしようもないことがこの世界では起こります。
結構世界は曖昧なものです。(日本人は自分に厳しすぎてちょっと引く)
社会的な事だけではなく、自然災害などもそうです。人にはどうしようも出来ません。
そんな時に完全に「自分は無宗教だ。」と言ってしまうのも自分の価値観を狭めて苦しめてしまうことになると思います。
別に「出家して全ての戒律を守ってお坊さんになれ」という訳ではありません。
現在日本で一般的な仏教は「大乗仏教」。
昔の厳しい戒律を守らなければいけない仏教ではありません。現代版にアレンジされた仏教です。
お寺のお坊さんも普通に結婚して家族もいらっしゃいますよね?好きな趣味をされていらっしゃるお坊さんもおられます。
だから、「自分は無宗教だ」なんてハナから宗教を否定することなく、「神も仏も信じますよ」と気楽に言ってしまっていいのではないでしょうか??
特にこれから先の「世界のAI化」の中では人間のそういう人間らしさが求められる時代になって来ると予測します。
人間のウリは人間の不完全なところです。
宗教=怖い などの思考は一旦どこかへしまって、たまにはお寺巡りや神社などのパワースポットへお出かけしてみられてはいかがでしょうか??
いつも、ブログを読ませて頂いているモカリーナさん(id:mocharina09) の記事です。
よく神社などの旅の記事を書かれているのでここで引用させていただきました。
結構面白いのでご一読下さい。
では、また明日記事を更新いたします。