おはようございます。
ちょろです。
お約束通り、新曲をアップいたしました。
爽快、スピード感十分のロックな曲です。
(しかし、ワンコーラスしかありません。ご了承ください。)
タイトルを「救世主」(メシア)としました。
中二病炸裂な感じの歌詞です。一応「90年代のV系」を目指しております。
本当は、フルコーラスで作りたかったのですが、時間の都合上ワンコーラスのみでご容赦ください。。
今回のおこだわり
今回の楽曲のおこだわりは「ギターサウンド」です。(毎回か!)
エッジの効いたディストーションと、コーラスの効いたクリーンのアンサンブルをお楽しみください。
ドラムサウンドは「ロック」に重きを置き、「キックのアタック感が強い物」にしました。シンバル類の音量を抑え、キックのアタック感が前に出るように調整しております。
ドラムが50Hz辺りをキックがカバーし、ベースが100Hz辺りで暴れる。というリズム帯の構成内容です。(これもいつもか!!)
ただし、ベースのアンプが変わりました。
audio-assaultさんのベースアンプ、「Bassgrinder」を使用しています。
ベースサウンドの輪郭がはっきりして変わった感じがします。
キックとベースの住みわけがはっきり出たように感じています。
肝心のギターサウンドはエッジを利かせ、中高音域を主にカバーするようにミックスしています。ボカロの音域と被らないようにしてずらし、ローミッドはリズム帯に任せる感じに仕上げています。
ギターアンプもaudio-assaultさんの物を使用していますが、ローの出方も、エッジの効き方も気に入って愛用しています。(メモリへの負荷がちょっと大きいのがネックです)
ボカロは、サビの一部分だけをコーラスさせることに注視をしています。
ボーカル用のコンプレッサをかけ、バックよりも前に出るように仕上げました。
という感じのワンコーラスのみのロックです。
救世主は「イエス」
歌詞の中に出てきます、「救世主」(メシア)は「イエス・キリスト」のことです。
「イエス・キリスト」といえば、「イエス」が苗字なのか、「キリスト」が苗字なのか?とても気になりますが、どちらも苗字ではありません。「イエス」さんという「神様」です。
ちなみに、「キリスト教」も「ユダヤ教」も「イスラム教」もこの「イエスさん」が教祖様です。神様のお告げの在り方が違うだけで全員同じ人を神様として崇めています。
戦争が絶えない世界に一人反政府として立ち向かい、公開処刑されてしまったイエスさん。
まさに、自らが行動を起こして、世界を変えた人です。
人は「思いつくこと」は出来ても、「行動」を起こす「勇気」が出ないものです。
でも、この勇気なんてのは本当は必要なくて、やるかやらないか?だけのことです。
本当に心の底から願っていれば勝手に行動に移しますし、「勇気」を振り絞る。という感覚も産まれません。(そんなに待っている余裕はないのが普通)
勇気を出して立ち向かわなければいけない。なんて考えるってことはまだまだ精神的に余裕がある状態です。
・仕事が嫌で毎日「辞めたい辞めたい」と繰り返す同僚
・彼と喧嘩して「もう別れる!」と毎月の様に言い合っているカップル
・「ブログを毎日書くのが辛い」と口癖のように言っているブロガー
みんな本当は「別れたく」も「辞めたく」も「書きたくなく」もありません。
誰かに止めて欲しいという「承認欲求」を満たしたいだけのです。いわゆる「かまってちゃん」状態。
本当に心の底から実行したければいつの間にか辞めています。
ちなみに、こうやって口に出して吐き出すことは精神衛生上大変いいことなので溜めないで必ず吐き出してください。
吐き出さなければ一生幸せはきません。
ストレスが溜まって、いつの間にか命を落としてしまう事態にもなりかねません。
負の感情を吐き出すこと(紙に書くなり、誰かに聞いてもらうなり)で、感情の中の幸せパワーはどんどん増幅されます。(グチグチ毎日言い続けることは論外ですが)
話を戻しますが、イエスさんは本当に心の底から「戦争の無い国」を願っていたのではないでしょうか?その姿は民に光と不思議な力を分け与えてくれたに違いありません。
理屈で考えることも感情で行動することも大切
音楽とは「音」を「楽しむ」ことです。
音を楽しむためには「良い音」と感じる音を作り出さなければいけません。
いい音とは沢山の定義があると思います。技術力で音の良し悪しも変わってきます。
僕もDTMを始めて4年。試行錯誤しながら「良い音」に近づける為に色々な事にチャレンジしてきました。
必要なソフトも沢山買いました。
でも、それはただの「理論」です。楽曲を作る時にも「音楽理論」なるものを意識して作りますが(起承転結)そこには「楽しい」とか「スピリチュアル」的なものは存在しません。
ただの「箱の部分」が出来上がるだけです。
その空っぽの箱の中にいかに「楽しさ」や「スピリチュアル」を詰め込んで作品に仕上げるのか?が大切になってきます。
仕上げる作品の完成形はイメージはしていますが、必ずしもそこにたどり着く必要は無いのです。実際に行動に移してみると「全く違うゴール」に向かいたくなる時もあります。
思っていたゴールにたどり着いたけど「ここじゃないね」と感じてさらに前に進まなければいけない時もあります。
イマイチだと思っていたけれど、一晩寝たら「あ、いい感じじゃん!」と思える時もあります。
理論無くしていい音は作れませんが、スピリチュアル無くして、楽しめる音は作れません。
音を作るのも人間、音を受け取るのも人間。しかも人間が実際に耳で聴きとれる音の範囲は限られています。その範囲の中でいかに心に響く音の塊に出来るか?そこに愛情やスピリチュアルが大切な役割を果たしてくれるのです。
「ロックは魂」とは言いますが、まさにこれです。
技術よりも「何を聞かせたいのか?」「どんなパフォーマンスでお客様に喜んでもらいたいのか?」「何をやったら自分は楽しめてお客様も楽しめるのか?」ここにスピリチュアルの要素の割合は決して少なくはありません。
これは、今後の世界のAI化の中で生きていく人間にとっても非常に大切な事で、AIには作り出せない「スピリチュアル」な要素は僕達人間しか持ち合わせていません。
サービスを提供するのも、受け取るのも人間。そのサービスに価値を感じてお金を払うのも人間です。
勇気を振り絞る必要はありません。
失敗してもまたやり直せばいい。
でも、今立ち止まっている時間は二度と戻ってきません。
立ち止まる余裕があるなら行動に移す時間もやり直す時間もあります。
最後に
僕達人間は実に精巧な作りで構成されています。
喜怒哀楽の感情を持ったり、先の見えないことに恐怖を感じて身を守ったり。
全ては人類が生き抜くための根幹の構造ですが、この防御能力が邪魔をして、新しいイノベーションを起こすことに躊躇し、日本が立ち止まってしまっているように感じてなりません。
みんなに元気になってもらいたい。その思いで死ぬまで活動していこうと思っています。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。