ちょろの癒し部屋

ワクワクと癒しを提供しようと、毎日記事を更新しています。

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他人が望んでいることなんて本当は分からない。自分で決めるしかない。

こんばんわ。

ちょろです。

 

僕達人間は「人の役に立つ生き方」をしようと生きます。

仏教的に言うと「利他の心」

人に施すことによって徳が積まれていくということです。

 

「自分が犠牲になって人の為に尽くすと、良い人生が待っているよ。

だから、頑張って人の為に働きましょうね。」

という考え方です。

でも、それって本当に出来る事なのでしょうか?

自分が不幸になっても人が幸せになる??

そんな不幸なあなたを見て周りの人は良い気分になるでしょうか??

 

もちろん。「ざまあみろ」と思う人は沢山いるかもしれませんが、

「皆が幸せでハッピー」という状態からは程遠いでしょうし、さらに復讐という名の争いを産み出してしまうかもしれません。

では、本当は僕達はどう生きるべきなのでしょうか??

 

本当に相手の事を理解することが出来ているのか?

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僕達は、「相手の立場になって考えろ!!」と教わって育ってきます。

相手の事を思いやるともっと優しい人間になれると思っているからです。

 

そうですよね。確かに「自分だけが幸せになろう。人のことは陥れてやろう。」と生きていくと、とても冷たい人間になってしまうような気もします。

 

人の事を思いやって考える。本当に心の底から素晴らしい考え方です。

 

でも、その人の事を考える方法。ここに正しさはありません。

なぜなら僕達は他人の心の中まで知ることが出来ないからです。

 

こうしたら喜んでくれるはず。という予測は出来ますが、あくまでそれは予測にすぎません。

「相手の事を思いやったけど相手は全くそれを望んでいなかった。」なんてこともあるかもしれません。それでも僕達はなんとか相手を喜ばせようと行動します。

それでいいと思います。

 

利他の心で施すために自分が苦しむのなら本末転倒

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人の為を思って行動をします。

その行動をするには自分の貴重な時間を相手のために使わなければいけません。

 

時間は人にとって一番大切なものです。

お金でも買えませんし、一度過ぎてしまった時間は二度と戻っては来ないからです。

 

本当はその貴重な時間を頑張って捻出している状態なのです。

もしお金や物で援助しているのなら物質的に損をして利他の心で救っていることになります。

 

それで、相手もハッピー、自分もハッピーでいれれば全く問題は無いのですが、自分が施してあげることによって自分が不幸せになるのであれば本末転倒です。

 

救ってあげることで自分が悲しい気分になる。なんと悲しい事でしょう。

 

人はまず「自分の事を幸せにするのが一番」

まず一つ言えるのが、「自分が幸せじゃないのに人の事は幸せに出来ない」ということです。

 

「私は不幸でいいの。あなたさえ幸せであれば、、私は地獄行きでいいの、あなたさえ天国に行けば。」

と、病的なまでに自分を不幸にして相手だけを幸せにしようとすると、

 

おいおいおいおい!!ちょっとまってよ!!

一緒に天国に行けばいいやんか!!なんでいきなり地獄にいくんやねん。

 

となりませんか??

少なくとも相手側はすっきりした気分にはなりません。

 

そして、普通の人がなぜ利他の心で接するのか。。

それはずばり「そこに損得勘定を持っているから」です。

 

「情けは人の為ならず」という言葉がありますが、この言葉は「情けは人の為にならないからやめましょうよ。」という意味ではありません。

 

「情けを掛けると巡り巡って自分のところに返って来るから、是非、利他の心で情けを掛け続けましょうよ。」ということなのです。

つまりは自分への何らかの見返りを期待している言葉なのです。

 

損得勘定があるから見返りを期待するという事です。

実際にその助けてあげた人から見返りが貰えるとは限りません。

 

自分の思いもよらないところから自分の得になる事が舞い降りてくるかもしれないのです。

 

「あの人助けてあげようかな。助けたら何かご褒美くれるかもしれないし、いいことがあるかもしれないから。」

 

というのが心の奥のどこかに必ずあります。

表面上は「何とかしてあげたい。」の気持ちが前面に出るかもしれませんが、人の心の奥深く、どこかには必ず見返りを求めます。

 

それが自分を守ろうとしている「潜在意識の力」なのです。

 

誰でも当たり前に持っている心です。

その気持ちを持つことに罪悪感を感じる必要はありません。

 

もし、その気持ちを持っていないとなると、「自分の身を守ろうともしない弱い人」ということになります。

 

それはいつ返って来るか分からないから自分が楽しんでおく

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その見返りは必ずいつかは返ってきます。

でも、いつ返って来るのかは分かりません。

すぐに返ってくることもあれば何年か後に返ってくることもあります。

 

すぐに返ってこないからと言って誰かを責めてしまう事があってはこれまた「本末転倒」です。

 

だから、「人に施すことを自分で楽しむこと」が必要なんです。

仕事にしても、遊びにしても、人の事を思いやり続けましょう。

そして、自分も楽しみ続けましょう。

 

もし、自分がやりたくない事であればやめましょう。それだけです。

 

多くの日本人はとーーーってもいい人なのでここでかなりの無理をして人の為に楽しくもなくやりたくもないことをしてしまいます。

その結果「うつ病」になります。

 

その時に断ること。

「自分にはこれ以上は出来ない。」

「今から用事があるから帰らなきゃ。」

「今日は行けないの。」

「もうお金ないよ。」

 

そう、きちんと断ればいいのです。

仕事も一緒です。「人間関係を維持したいがために無理をして頑張る。」

ここで自分では感じていない無理が発生してしまいます。

 

小さな無理が積み重なって大きな負担となって返って来るのです。

 

だから、好き勝手に生きてやりたいことをやる生き方は全く悪い事ではありません。

 

逆に無理して体調を壊すことの方が迷惑を掛けてしまいます。

 

罪悪感も全く感じることはありません。だってそれが限界なんだし、相手の為になるからです。

別に今無理をしなくても必要な時に必要なことが起こるように世の中は出来ている物です。それが運命というものです。

 

最後に

人というのは、「自分の為に生きる」というのが大原則です。

自分が幸せになれるから人も幸せにできる。そういうものです。

 

自分が不幸なのに幸せな雰囲気は作れません。

そんなに神様仏様みたいな人間になる必要は無いと思いますよ??

 

楽しんでいきませんか??

 

逆説的ですが、不幸せに感謝することも自分を幸せにしてくれる一つの方法です。

以下の記事から読んでみてください。

www.choro0164-iyashibeya.site

 

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