こんばんわ。
ちょろです。
みなさんは「夜眠れない」ということはありませんか?
僕は比較的寝つきのいい方なんですが、夜中に目が覚めてしまって眠れない時があります。
人は夜眠くなるように出来ていますが、なぜ夜眠れないことが起こるのでしょうか??
そこにはとてもシンプルなことが起こっているだけなのかもしれません。
足るを知る心。そして感謝する心。これがあれば本当は眠れているのと同じことが起きています。
この世に絶対の事もありませんし、欲には際限がありません。
だから、足るを知る心を持つ。そして、今の自分の環境に感謝する心が大切なのです。その理由を記事にしていきます。
この世の中は実体が在るようで実体がない。だから感謝をする。
僕達の住むこの地球。そして宇宙。
この世界には物や人が沢山存在しています。
でも、その存在は本当にあるのでしょうか??
人は人の体から産まれてきます。
お母さんの体から産まれてくるはずです。
(宗教の違いで様々ですがキリスト教では神様が造られていると信じられている)
お母さんの存在が無ければ僕達は存在しません。
だから、「僕達はお母さんを認識できるからここに存在する」と信じています。
それを疑ったことはありません。当たり前の様に感謝をすることすら忘れてしまいがちです。
お母さんの事はどんなイメージでしょうか??
・優しい
・起こると怖い
・泣き虫
・いつも働きまわっている
・無口
色々なお母さんがいるとは思いますが、それは「あなたから見たお母さん」です。
僕があなたのお母さんに会うと違う印象を感じてしまうかもしれません。
あなたは自分のお母さんに素直に感謝できないかもしれませんが、僕は何も考えずに感謝することが出来ます。
あなたではなく僕が会うからお母さんが変化してくれる可能性もあります。
僕があなたとは違う価値観で見るからお母さんに対する認識が違う事もあります。
その両方がある。だから「僕とあなたは別の世界を感じて生きています。」
世界に「これだ!!」という実体があるようで実体がないということです。
世界が今の様に見えていることは「そう世界が存在してもらわないと僕達にとって都合が悪いからです。」
まさに自分本位の世界の存在です。
だから、人は足るを知る心を持てずに感謝をすることも忘れてしまうのです。
どちらも正解。どちらも間違えている。そこに足るを知れない。
こちらとても有名な「ルビンのツボ」という絵です。
白い壺が見えているはずです。
僕には白い壺が置いてあるようにしか見えません。
え??違う??
「女の人の横顔が向かい合ってるように見える?」
ええ??・・・・おお確かに。。
そうですね。そう見始めるとそのようにしか見えません。
これはどちらの見方をしても正解です。
どちらにも見えるように出来ている絵です。
しかし、不思議な事に「壺に見えるか女性に見えるか?」を自分で信じてしまった時に逆の方の見え方は出来ません。
自分で思い込んでいる物しか見えなくなっています。
他人から「他の見方も出来るよ」と教わらない限り、ずーーーーっと同じ世界しか見えないことになっています。
当たり前の事ですが、僕達が生きている世界はまさにこの絵が表している世界です。
どちらかを求めるとどちらかが手に入りません。
僕達は欲張りなのでどちらも手に入れたいと思ってしまいますがそこに必要なのが「
足るを知る心」という事になります。
そして、「足るを知る」と今ある現実に感謝できるようになるのです。
「空」(くう)の世界に実体を求めて生き続ける。まさに感謝が必要。
本当は何も存在していないかもしれない世界に僕達は「何らかの存在を感じて生きています。」いえ、ひょっとすると、今感じている肉体も「あるように見えているだけ」なのかもしれません。(実際には体も無いかも・・)
生きているという感覚すら僕達が作り出した幻想なのかもしれません。
だったら、「夜になると眠くなって寝るのが普通だろ。」ということすらひょっとすると「過去の人々による決めつけ。」ということになります。
そういう事実が世の中にあるような気がするから、「科学」「医学」というものを使って「夜になると眠くなるにはこういう理屈がないと困るからそうしよう」と決めているに過ぎません。
・夜になると眠くなる人→普通
・夜になっても眠くならない人→変わり者
というルールを決めて世界はそのルールの基に動いています。
となってくると、冷たい、痛い、辛い、苦しい、嬉しい、悲しい、苦い、甘い、楽しい、、
というような僕達が普段から感じることも「そういう言葉で表現できないと困るからそう決めているに過ぎません。」
本当は言葉では表現できないエネルギーが動いているだけ。
「このエネルギーにはこうやって名前を付けよう。」
「こっちのこのエネルギーにはこんな名前がいいだろう。」
という具合に僕達の遠い遠いご先祖様がエネルギーの動きに名付けたに過ぎません。
「みんな違ってみんないい。」金子みすゞ先生の詩ですが、まさにこの通り。
「別に誰がどんなことを感じたっていいじゃん!!」というのが正しいのです。
話を戻します。
「なぜ夜眠れないのか?」
夜眠れないといけないと思い込んでいる自分がいるから。
夜眠れることは当たり前の事ではなく特別な事。
だから、夜眠れる自分にもっと感謝をするのが普通です。
そして、この世にある現象に「不安」というものを感じて、「不安」というものから逃げたいからです。
足るを知る心があれば眠ろうとしなくても勝手に眠れる
なぜ、眠れないといけないのでしょうか??
それは、眠れないと明日の活動に支障がでると思っているからです。
明日の活動は眠れないまま行ってはいけないのでしょうか??
眠れていた方が有意義な一日になるのでしょうか??
それはあなたの決めつけではないでしょうか??
話は矛盾しますが医学的には「目を閉じてベッドで横になれば、熟睡時の60%は体を休められるそうです。」
つまり、「ベッドで横になってるだけでも十分に休んでる。」ということです。
熟睡できない事=休めてない という決めつけが間違えているのです。
この体もこの世界も全ては「在るようで無い」「無いようで在る」という世界です。
熟睡できていようが熟睡出来ていなかろうが明日は来るし、明日は終わります。
心配事も、本当は心配するほどのことでもないのかもしれません。
「もし、どうしても熟睡しなければ不安な感情が消せない。」という方はアロマ成分の入ったミストもおすすめです。
ビターオレンジ成分を配合の柑橘系の香りで熟睡モードになるように体にエネルギーの動きを与えてくれます。
エネルギーの動きも自分の意識でも作れますし、人工的に作り出すことも出来るのです。
使い続けていれば効果はどんどん出てきます。
最後に
全てにおいて「満足」になる世界は存在しません。
今の現実を受け入れ「足るを知るこころ」があるということを理解できれば、眠れていても眠れていなくてもOK。感謝する心があれば今の自分の存在は特別なんだ。ということが分かって来るのではないでしょうか??
足るを知って、日々感謝をし、さらに前に進んでいく。夢を持って生きていく。
これが本当に人間らしい生き方のような気がします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
最近、枕を変えてみてさらに世界が変わりました。