おはようございます。
ちょろです。
皆さんは長生きをしたいでしょうか?
僕は今は特に長生きをしたいとは思っていません。
出来れば長生きしたくない。と今は思っています。
なぜなら、「健康な肉体でいられるのには限りがあるから」だと思っているからです。
しかしながら、人間というのは欲張りな生き物です。
いざ、自分の死期が迫って来ると間違いなく「もっと生きたい」と思うに違い無いのです。完全に「生きるための欲」ですよね。まさにスピリチュアルな事です。
そのスピリチュアルパワーがあるから僕達人間は存在出来ているのですから当然です。
ただし、今の日本国の財政を圧迫している一つの要因がこの「長生きしすぎる日本人」だというのは間違いないでしょう。
先日も日経新聞の一面に出ていましたね。「医療費が国の財政を圧迫している」ことが。
さて、では、長生きすることが悪なのでしょうか?
その答えは誰にも分かりません。そして、それは立場によって見方が変わるのです。
では、僕の個人的な見解を。
自分の生きたいように生きる事が一番。自分の人生のピリオドは自分で決めれるのが一番。
という考え方です。そう、最後に自分で人生を終えることも視野に入れられることがベターなのではないかと考えています。安楽死が出来るならばそれにこしたことは無いのかもしれません。
ただし、実際に死期を迎えた自分がどういう判断をするのかはその時になってみなければ分からないというのが本音ですね。
はい、では、今日は「長生きしすぎる日本人」をテーマにスピリチュアル的見解も交えながら記事にしていきます。
長生きをしていても健康でなければ意味がない
長生きをしたい理由。それは「健康な体でもっとやりたいことをやるため」です。
つまり健康な体が無ければ「長生きしたくない」という結論に至るのが普通の感覚ですよね。
しかし、僕達人間の意識というのは「死」というものに一番恐れています。
死ぬことなんて怖くないと思っていても、額に拳銃を突き付けられて怖がらない人はいないでしょう。
死ぬ前は必ず怖くなるものです。そして、それは人が人として生きる上では絶対に避けては通れない事なのですね。
健康な肉体が継続できるのは一体何歳までなのでしょうか?
そこには個人差はあると思いますが、きっと80歳代になって新しい事を始めようとすることはなかなか難しいでしょう。
しかも、健康な体で「国に税金を納められるだけの事」が出来なければ財政的には足を引っ張ってしまう事になります。
しかし、人間の本能の部分では「なるべく長く生きたい」と考えるのが普通ですからその無意識的なスピリチュアル的な部分は変えることは出来ないでしょう。
日本人の平均寿命は長いのか?
日本人は果たして本当に長生きなのでしょうか?下の表にまとめてみました。
順位 | 平均寿命 | |
日本 | 1 | 84.2 |
韓国 | 9 | 82.7 |
フィンランド | 21 | 81.4 |
アメリカ | 34 | 78.5 |
中国 | 50 | 76.4 |
ロシア | 103 | 71.9 |
日本人の平均寿命は圧倒的に世界ナンバー1です。
そして、驚くべきことに、「幸福度の高い北欧の国フィンランド」よりも日本人は長生きをする国民なのですね。
寿命が長い事は良い事ですが、裏を返せば「健康な肉体でないまま生きている人が多い可能性が高い」ということです。
ここ最近、高齢者の自動車事故が目立ちますが、関係があることのような気がします。
この事が財政を圧迫していることはみんな知っているのに言えないのです。
政治家も言えません。そりゃそうですよね、自分もいつかは死ぬわけですから。長生きが罪などと発言は出来ません。しかし、長生きしたくないと考えることも自然な事なのかもしれません。
スピリチュアルパワーが無くなれば肉体は滅びる
僕達の体は目に見えないパワー「スピリチュアルパワー」で動いています。
例えば、無意識的に酸素を呼吸によって体内に取り込んで生きていますが、この呼吸を意識して繰り返している人はいません。
恐らく「無意識的に」「勝手に」呼吸をし続けている人が大半ではないでしょうか?
少なくとも僕は毎日勝手に呼吸をしてスピリチュアルパワーを受けて生きています。
呼吸が出来なくなれば人は細胞が腐っていって死にます。
その時が「人の最期」でいいのですが、僕達人間は何とか少しでも「死の恐怖」から逃れたがる生き物です。
スピリチュアルパワーを絶やさないように生きようともがき続けます。
健康でないのであれば長生きしたくないけれど、本心は長生きしたい。
大きな矛盾の中でスピリチュアルパワーがある限り生き続けるのです。
自然な流れは、自分でスピリチュアルパワーを取り込んだり作れなくなった時が肉体が正しく滅びる時だと思っています。死に無理やりあらがう事は辛いだけなのではないでしょうか?
無理やり長生きはしたくないのが人間でしょう。
スピリチュアルパワーは肉体が無くても存在し続けるから大丈夫
仏教には輪廻転生という言葉がありますよね。
一度自分の肉体が無くなっても僕達のスピリチュアルパワーはこの世界に存在し続けるのです。
そして、また別の形で産まれていくのです。
だから、今の肉体の死を本当は恐れる必要は無いのですね。
死ぬことが最大限に怖いのが人間
長生きはしたくないけれど、すぐに死ぬのも怖い。
これが人間です。人間らしい人は「少しでも生きたい」と思うのが普通。
死ぬことと言うのはそれだけ怖い事なのです。
著名人の方の本を読んでも「死ぬことが怖い」とよく書かれています。
蛭子能収さんも著書の中で書かれていました。「死ぬことは最大に怖い」と。
箕輪厚介さんも表現の仕方は違えど、「死の恐怖」を本のタイトルに使われているほどです。
基本的に生命体には「もっと長生きしたい」という本能が無意識的に存在します。
だから、子孫を繁栄するのですし、家族を作ろうとします。
だから医療技術はこんなに発達し、健康的な生活を送れるようになって来たのです。
そこには「死にたくない」という欲望があるのです。
それは大切ですが、健康的でないのであれば長生きしたくないと考える人間の本能もこれまた一つの事実です。
見方を変えればどんな意見にも変化します。
立場が人を変えてしまうのですね。
長生きは幸せではない
これは僕の個人的な意見ですが、
「長生きすることは=幸せな事」ではないと思っています。
人と言うのはいつか自然と死ぬものです。
その時が来れば必ず死を迎えます。
死にしても生にしても自然に起こっていくことで、非常にスピリチュアルなことです。
まさに勝手に産まれて勝手に死んでいくのが僕達人間です。生命体です。
その全てをコントロールしてやろうとする人間の欲望は実は間違えているのではないかと考えます。
スピリチュアルパワーで波動を感じられたり呼吸が続かなくなった時に僕達はさっさと死ぬべきなのかもしれません。
しかし、それはなるべく長く続けたい。
そういう想いでブログも書いています。
長生きはしたくないです。でも長生きしたい。死にたくない。
僕達人間は今までもこの悩みと戦ってきましたし、これから先も戦っていかなければいけません。
戦争で人と人が殺し合いをする以上に苦しい悩みなのかもしれません。
戦国時代の人たちは、自分が生きる為に人を殺して生きていました。
人生はそれだけドラマチックで短い人生だったでしょう。
太く短い人生だったはずです。やりたいことはすぐにやらなければいけない時代だったのかもしれません。
現代の日本は長生きしてしまう国です。長生きしたくないと思っている人がいても長生きしてしまいます。
短くて限りある時間だからこそ「よりやりたいことを今すぐにやろう」と考えられるのが人間なのかもしれません。いつまでも人生が続くと思っていれば「今すぐにやらなければいけない事」を先送りしてしまう人生にならないように気を付けたいものです。
最後に
長生きはしたくないものです。でも、死ぬことは怖いものです。
そんな複雑な心境の中また僕達は苦しい人生を歩いていかなければいけません。
しかし、スピリチュアルパワーが存在する限り幸せな余生は残っています。
今できることを最大限に実行して幸せな時間を毎日送っていきましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。