ちょろの癒し部屋【スピリチュアルブログ】

ワクワクと癒しを提供しようと、毎日スピリチュアルブログを更新しています。

自己評価は飛び抜けて高い方がいい理由

おはようございます。

ちょろです。

 

僕はかなり「自己評価が高い」という人間の様です。

以前性格診断なるものを実施してみたのですが「自己評価が高すぎる」などという結果が出ました。

 

そこで、「自己評価が高いという事」は悪なのか善なのか?適正な自己評価とは何なのか?を僕なりにまとめて記事にしていきます。

 

結論から言うと、

 

自己評価に適正など無くて、自己評価の低い人ほど他人の目を気にして自意識過剰になる。

 

ということです。

では、具体的に記事にまとめていきます。

 

自己評価が高い人は傲慢だというのは嘘

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日本人は「自己評価が高い人は傲慢である」と思い込んでいますが、それは全くの嘘です。

その「自己評価が高い人」は「飛び抜けて自己評価が高い」わけではなく、中途半端に自己評価が高いだけです。

 

例えば、「俺はデキる人間だから努力なんてしなくていいのさ」と思っている人がいるとします。

そこには、

・自分は凄くて他者は凄くない

・自分と他の人は別格だから努力の必要は無い

・他者に負けなければ努力する必要は無い

 

という自分と他者を比べて「自分の方が優位にたっているから大丈夫」という比べて傲慢になっているという思考があります。

 

周りの人に追い抜かれなければ自分は常に高い位置に居れるんだ。という思考があるという事です。

その差が無ければ自分は価値が無いと思い込んでいます。

 

だから傲慢なのです。

飛び抜けて自己評価は高くありません。

 

わざわざ比べなければ自分の価値を自分で認識することが出来ない人です。

心の中では「いつ追い抜かれるんだろう」とずっと怖がっている人です。

 

いじめをする人は中途半端に自己評価が高い

昨日Twitterでもつぶやいたのですが、

 

 

 とにかく、自分が他者と比べて優位にいれていることを認識するために人をいじめるのです。本当にバカみたいな話ですよね。

とにかく、自分よりもおとなしくて言い返さない「ターゲット」を作って自分の弱さをさらけ出させないようにしているだけです。

本当は「みんなに僕の弱みがバレたら嫌だなー」と内心思っている怖がりさんです。

 

実に中途半端な自己評価の高さです。

僕から言わせれば、「あんた暇やねー。そんな人と比べてる暇があって羨ましいわ。」

となるのです。

 

 いじめをする人はあんまり大したことのない人です。

時間を無駄に使っているという点では「かなりのバカ」なのかもしれませんね。

 

自己評価が低いから他者と比べたがる

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まさにこれです。
自己評価が飛び抜けて高くない人は「自分と他人を比べて生きているだけ」の人なのです。

 

自分の価値が他人よりも高い事を表現したいがために生きているだけです。

それを周囲の人に分かってもらい続けなければ「自分には存在する価値が無い」と思い込んでいます。

 

言い方を変えて言うと「自己評価が低すぎるのです」

 

本当に飛び抜けて自己評価が高い人はそんなこと気にしません。

「え?だって自分はこの世に唯一無二の存在だからどんな能力でも存在価値はあるんじゃない?」

と考えて、人と争う事はしません。

そんなことをする暇が在ったらもっと自分のワクワクすることにのめり込む時間を作るのが「飛び抜けて自己評価の高い人」です。

 

日本人は謙虚=いいことであることを教育で教えすぎている?

日本人の教育というのはどこか

 

「我慢=いいこと」

 

と教えすぎているように感じるのです。

というのは、国を安定して平和にするためには「みんなで我慢し続けるしか方法が無い」からです。

平和で安定した国家などあり得ません。人が沢山いればいるほど「お互い様」で助け合って生きていくことが自然です。

もう、日本の文化のようになっているので、この「我慢=いいこと」の思考を変えることはなかなか出来ませんが、別にそんなに我慢しなくてもいいんじゃない?と僕は考えるのです。全ては自己責任です。

 

アメリカ人は「あなたは素晴らしい人だからみんなと仲良くしてね。」と教えています。価値をきちんと全員が尊重し合えている国です。

確かにその為国内での暴動も多いですが、幸福度は日本人よりは高いかもしれませんね。

 

ワクワクしていれば他人の目など気にならない

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ワクワクする時に「自分は人よりもワクワクしているから大丈夫」という発想にはならないはずです。

周りの人は関係なくて「今自分がワクワク出来るかどうか」でしか判断していないと言えます。

別に周りの人の為にワクワクしているわけでは無くて自分の為にワクワクしているからです。

でも自己評価の低い誰かが「あいつは自分ばかりワクワクしやがって。ずるい。」と言ってワクワクしている人をいじめてきます。

 

いじめの始まりとはこんなものではないでしょうか?

 

でも、「ワクワクすること」を全員が覚えていれば「他人を気にして生活する」などということは無くなるのではないかと思います。

 

僕から見れば

「え??みんな好きなことして生きたらいいじゃん。」

って思うのです。

好きな物を食べて、好きな服を着て、好きな場所で寝て、

 

それをみんなで共有すればいい。それだけのことなのです。

他者と自分を比べる時間を作ってしまうからいじめが起こるのです。

 

比べるという事は「自己評価が飛び抜けて高くない人」ということでしたよね。

 

だから、「ワクワクすること」が大切なのですね。

 

自己評価を適正に保つことなど不可能

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以前、ファーストリテイリングの柳井会長が仰っていたのが

「自分には適正な自己評価がある」

ということでした。

日本人は「高すぎず、低すぎない丁度いい自己評価が適正だ。」と思っているかもしれませんが、僕は違うと思っています。

初めから適正な部分を探ろうとしても分からないものです。

 

「誰とも比べなくて済むくらいに飛び抜けた自己評価が適正な場所。」

 

だと思い込んでいるのです。

もし、自分がそこまで自己評価を高めることが出来れば、もはやこの世界の常識など全く通用しない思考を持ち合わせるかもしれません。

 

自分の事しか考えていないようで、いいアイデアは人とも共有できる柔軟な思考に変わるかもしれません。

 

「あの人にも分けてあげなきゃ悪いから、、」

 

という感覚ではなく、

 

「あ、あんたも使ったらええやん。これ、めっちゃええよ。」

 

という感覚で全員が助け合いだすと思うのです。

だって、誰が損で誰が得とかはないのですから。

 

自己評価を適正に丁度いい場所で保ち続けることは不可能です。

出来る事は飛び抜けてしまう事だけです。

 

そこが柳井会長が仰っていた「適正な場所」だと思っています。

謙虚に生きなければ自分は悪者だ。という罪悪感の中で生きる事はもうやめませんか?

だから、人をいじめたくなるのです。

 

人をいじめて自分の心を安定させて生きる。

 

こんなにくだらない時間は無いと思います。

まあ、人間の欲の部分で誰にもコントロールできない難しい部分なのかもしれませんが、僕は「ワクワクのスピリチュアルパワー」がそこの部分さえ変えてくれると信じています。

 

ワクワクしていると人に感謝することが出来ます。

www.choro0164-iyashibeya.site

 

ワクワクすることは良い事でも悪い事でもなく、「当たり前のこと」なのです。

 

自分を一番責めているのはいじめをしている「あなた」なのかもしれませんね。

 

 

最後に

いかがでしたでしょうか?

自己評価を高く保とうという気分になれたでしょうか?

とにかく人と比べている時間があれば自分のスキルをもっと磨く時間に当ててみてはいかがでしょうか?

他者と比べる前に過去の自分と比べてみませんか?

 

最後までお読みいただきありがとうございました。