おはようございます。
ちょろです。
先日からずっと話題になっている「高校野球の球数制限問題」です。
投手の球数制限について調べてみました。
投球制限 | ||
1日の球数 | 1週間の登板数 | |
8歳~10歳 | 50球 | 2試合 |
11歳~12歳 | 65球 | 2試合 |
13歳~14歳 | 75球 | 2試合 |
15歳~16歳 | 95球 | 2試合 |
17歳~18歳 | 105球 | 2試合 |
このデータはアメリカの投球制限の目安の表です。
日本の高校野球特に夏の甲子園では2週間で600球以上投げさせられるパターンが常態化しています。
上記の表と比べても異常な数値です。
ということは、日本の高校球児の投手は明らかに「体に負担を掛けながら野球をしている」ということが見てろれると思います。
過去の日本ではこんな医学的見地から野球そのものを分析したことがなかったのかもしれません。
時代は変わり、「より、効率的に、ワークライフバランスを保って生きる」時代です。
今の時代からすると高校球児の投手は常軌を逸しています。
しかし、もう一方の見方の「根性で投げ抜け」という論理も精神的な面から見れば応援したくなるのが人間の心理です。
頑張ってチームの為に投げている投手を応援もしたくなるのが人の性でしょう。
では、結局のところどうするのが一番いいのか?という問題ですが、
日本でも球数制限を明らかにしたルールを作ればいい
と思うのです。
しかし、ここにもまた「部員数の大小で不公平が」というモヤモヤがありますが。
甲子園で勝つことで得られるワクワク
甲子園で勝つということには日本の高校球児にとっては大きな意味があります。
日本の高校球児はみんな「甲子園で勝ちたい」という目標だけで野球を毎日練習しているのです。
上手くなってレギュラーになって、甲子園でプレーして勝ちたい。
どんなに辛い練習もこの目標の為だけに行っています。耐えています。
甲子園にやっと出ることが出来た。
これは高校球児からしたら夢のような話です。
しかもその甲子園で「勝つ」というワクワクはこの先の人生で与えてあげられるかどうかの保証は誰も出来ないわけです。
人生に一度しかない高校野球の大舞台で勝ってワクワク出来る時は「今だけ」です。
もちろん、社会人野球やプロ野球の選手になれば甲子園でプレーする機会はあるのでしょうが、高校野球とそれらの野球は違います。
結局のところ「どこに重きを置くのか?」という究極の選択になるのでしょう。
勝ってワクワクしたいのなら今をチャレンジするしかない。というのが僕の想いです。
連投したければするべき
某テレビ番組で「体が壊れても投げさせろ」「それくらいの頑丈な体が無いとプロにはなれない」「大人が子供の夢を摘むな」
と思しき発言が物議を醸しています。
当然です。
前述しました投球数の凡例からしても日本の高校球児は投げすぎなのです。
それでも、「根性で投げ抜け」という理論は間違いなくその投手そのものを将来的に壊してしまうでしょう。
しかし、本人が「チームの為に絶対に投げたい」とワクワクしているのであればそれを止める事は難しいと僕は思います。
彼は今投げないと「人生を一生後悔する」と思っているかもしれません。
いや、今日投げなかったことで「明日自殺してしまう」可能性も否定できないのです。
未来の為に野球をするのか、今の人生に後悔しないために野球をするのか。
完全に究極の選択でしょう。
僕は、「今を大切に生きて欲しい」というのが個人的な想いです。
将来、野球を一生やっていくのかどうかは分かりません。
プロ野球選手のダルビッシュ有選手などは確かに「日米で大活躍の選手」です。
日本人の高校球児が投げすぎだと言われているのも頷けます。
しかし、たまたまダルビッシュ有選手は「野球で活躍し続けている」から「投げることを我慢するのは当たり前」と言えるのであって、「今しか野球で活躍できないかも」と思っている高校球児にとっては未来はありません。
少なくとも未来を冷静に考えている余裕はないでしょう。
周りの大人たちが「無理強いをして投げさせる」のは言語道断だと思います。
しかし、本人が決めてワクワクしているのであれば僕は「彼らの今を奪うわけにはいかない」と思っています。
先の事を考える余裕などない
そもそも、「人生を掛けた今の一瞬の時」に先の事を冷静に考えられる人などいるのでしょうか?
そこまで追いつめられた経験をした人であれば分かると思います。
「今日この仕事をしなければ死んでします」
とさえ思っている状態です。
僕は経験したことはありませんが、人が銃を突き付けられたらきっと自分の身を守る為に撃ち返すのが普通でしょう。
ここで相手を撃ってしまってもいいのか?
なんて冷静には考えられないはずです。
それと一緒の理論。今日を生きる為に生きてるのに将来の事を冷静に考え続けられる人などいません。
もちろん、周りが本人にどうこう言うべきことではありません。
自分が今の時間を本気で生きたいと思うのであれば、自分で決めて自分で行動すべきです。
ただ、「今無理することで発生するデメリット」もきちんと教えるべきだとは思います。
今回の球数制限の例で言うと、
「今日投げてもいい。無理してもいい。」
「でも 、将来の肩への負担はこれくらいあって、長く野球を続けられなくなるかもしれない。」
非常に残酷な話ですが、それがリアルです。
それらの情報をきちんと伝えたうえで、最後は
自分が自分の人生を決めるべき
だと僕は考えます。
未来は誰にも分かりません。だからこそ今を後悔しないように自分で決めるべきなのです。
それがスピリチュアルパワーを発動させて人を感動させるのです。
肩を守りたいのでルールを変えるべき
でも僕はもう大人です。
高校生のその一瞬のワクワクは今は分かりません。
大人という立場になった今、僕達が出来る事は「みんなが平等に無理の無いルールを作る」という事だけです。
もちろん僕は野球関係者では無いのでそのことに対してなんの権力もありませんが、野球少年の未来を守るために「大人が出来る事」は「無理な事はさせない」という明らかなルールを設ける事しかないと思っています。
ツイッターなどではかなり議論されているようですが、
・試合日程を開ける
・投手の球数制限を設ける
・強豪校などで部員の人数が多い場合は1校で2チームの出場を認める
などのことが議論されています。
もちろん、大人は「全てのチームに平等に出来るルール」を作りたがっているので、簡単にルール作りは進まないのが現実でしょう。
しかし、今までの日本の高校野球のやり方は世界的に見て確実に間違えていたのです。
そこに気が付いて、今こそルールを改定していくべきなのではないでしょうか?
「ごめんね、投げさせたいんだけど、ルール上無理なんだ。」
と言える日本の野球界であって欲しいと思うのです。
そこには、野球だけに偏った生き方だけでは理解されないこともあるのかもしれません。
野球をしている人にも幅広く「一般教養」をもっと教えて、野球以外の可能性を見出す大人側の努力も必要でしょう。
今見えている世界だけが全てではありません。
大人にしても、高校球児にしてもそれは一緒です。
でも、僕達は今見ている世界だけでワクワクしているのです。
そのワクワクが世界を変えていることも間違いないのです。
どれも正解なのです。
失敗はありません。
ただ、ある一定のルールを設けて日本の将来の宝を守る努力はしていくべきだと考えています。
最後に
いかがでしたでしょうか?
日本人の持つ「大和魂」にはまだまだ改善すべきことが沢山あります。
この世に正解も不正解もありません。失敗も成功もありません。
今、自分がどうしたくてどこへ向かうのかを常に考え行動していくしかないのです。
最後までお読みいただきありがとうございました。