おはようございます。
ちょろです。
皆さんは「急にお金が必要になって困った」という経験はありませんか?
人生において「お金が必要な時」というのは必ず存在します。
それも、「今すぐに」とか「明日」とか「今日中に」なんてことはざらです。
皆さんはそんな時どうしますか??
きっと大部分の人は知人にお金を借りに行くか、サラリーローンに手を出すことになるかもしれません。
とすると、そのお金は必ず「利息を付けて返すこと」になるでしょう。
借りたお金は返すのが人間としてのマナーです。
しかし、ちょっと疑問に思って見るのも一つの考え方です。
本当に今、急にお金は必要なのか?
ということを疑問に持つのです。
例えば、もっと行政に相談できたこともあるのかもしれません。
本当は「急にお金が必要なんだ」と自分で思い込んでいるだけなのかもしれません。
別に急じゃなくてもいいのに??
では、今回は「急にお金が必要な時は諦めろ!」をテーマに記事を書いていきます。
お金は常に必要
急に逆説的な話になりますが、「お金は僕達が暮らす上で常に必要」なものです。
裕福な生活をしようと思えば思うほど沢山いります。
家に住む、電機やガスや水道を使う、ご飯を食べる、服を着る。
現代社会で生きる上でこの全ての物にお金が必要なのは間違いありません。
しかし、お金が無くてもこれらの物が手に入る可能性もあるのは事実です。
と言うのは「衣食住を手に入れるのはお金が必要なんだ」という大前提を「誰かから教わってきて」それを常識として認識しているのはあなただからです。
その常識は合っているのでしょうか?
僕も今「衣食住を手に入れるにはお金が必要」と書きましたが、それは本当に正しいのでしょうか??
まずはそこに疑問を持つことで急にお金が必要になっても大丈夫なんだということを理解するべきです。
そして、お金は常に必要だという事は「どこにでもあるのがお金」です。
お金って確かにめちゃくちゃ「貴重な物」ではありますが、よく考えると「どこにでもあるもの」なのです。
そのどこにでもある「お金」を追い求めれば追い求めた分「急にお金が必要」という事態になってしまうのが人間です。
初めから「常にお金は必要だけれどもどこにでもあるもの」と思えておけば別にお金を探す必要は無くなります。
急に世界は変わり続けている
ちょっと見方を変えてみます。
僕達の住むこの世界は毎日変化を続けています。
それもちょっとずつではなく「急に毎日変わる」ということがどんどん起こっているのがこの世界です。
ちょっとずつに感じることもありますが、その事象の原因を探っていけば「急な変化」を目にすることが出来るでしょう。
例えば、
「きゅうりが一本99円から110円に値上がりした」
という事がありますが、たった11円ですが世界は変わっています。
きゅうりを作っている人に何か変化があったのかもしれませんし、きゅうりを運ぶ人に変化があったのかもしれません。もちろん、きゅうりを売る人に変化もあります。
為替の影響で「円の価値の変化」がある場合もあるのです。
沢山の小さな変化が詰みあがって今目の前の「急な変化」が起こるのです。
毎日の変化は「急」です。とにかく世界は変化し続けています。
そんな変化し続ける世界の中で「お金を追い求める事」が全ての欲望になっていませんでしょうか?
例えば、過去の経済で行くと、、
・最近我が国はインフレが凄いからお金を作り変えてしまって、昔のお金は使えないようにしよう
とする政策も取られたことがあります。
この場合、古いお金をどれだけかき集めていても全く価値がない事になります。
世界はこんな感じで「人の意識の変化」で急に変化し続けているのです。
その中で「お金だけ」に意識を向けすぎることはバカみたいな話なのです。
もちろん、お金にはかなり「価値がある」のは大前提ですが、「お金が人生のすべて」ではありません。
急な変化が起こるから僕達はその変化に対応するためにお金を手に入れようとし続けているけれど、そのお金すらも「変化してしまう」ということもあるのです。
人生を諦める覚悟
もし、「お金が無ければ幸せにはなれない」と思っているのであれば、「人生を諦める覚悟」が必要です。
なぜならその「お金が無いと幸せではない」という価値観であなたが苦しめられているからです。
ただし、その「お金が無いと幸せではない」という価値観が100%間違えているわけではありません。
お金があれば幸せになれるのも事実です。
しかし、お金はあなたがそんなに必死になって追いかけ続けるべきものでもないという事です。
世界中にはありとあらゆるところのお金が常に存在しています。
別に無理に頑張って「お金を手に入れ続ける必要」は無いのです。
空気のように存在しているのですから。
あなたは「空気を吸い込むためにお金を支払っていますか?頑張っていますか?人生を掛けていますか?」
きっとそんなことは無いはずです。
お金もその「空気と一緒」なのです。
沢山追っても沢山手に入れても実は仕方のない物なのです。
仕事をしなければお金が手に入らない
そう思っているのが現代人です。
そして、
仕事と言うのは苦しい物だ
そう思っているのもまた現代人です。
でも、苦しい仕事を我慢しなくてもお金が手に入り、さらに幸せな人生を過ごせるならそのほうが良くないですか??
今の日本は「デフレ」が依然続いていて、「低い価格で良質なサービスを提供すること」がお金を稼ぐ「あたりまえ」になっています。
だから、「仕事と言うのは苦しい」という見方になるのです。
でも、お金の価値がもっと薄くなれば、きっと「仕事を無理にしなくてもいっか」となるのが人間です。
この先の未来がどう変わるのかは誰にも分かりません。
仕事が苦しくなくなる時代はきっと目の前に来ています。
お金を手にして安心したいだけ
ずばり僕達がお金を手にしたい理由は
「安心したい」
という欲求を埋めるためだけです。
というのも、実は無一文になっても生きていくことは可能だからです。
生活保護もある、憲法で国民の安全は決められている。
この国にはきちんとした法制度が整っていてお金を手にする「安心」は別に必要ないのです。
それでも「安心したい」と次なる欲求を埋めようとするのが人間です。
お金が大量にあればどんなに高価な物でも買えます。
しかし、その高価な物は本当に必要な物なのでしょうか?
高価な自動車から中古の軽自動車にしても何の問題も無い
これは僕のリアルな話ですが、以前僕は「高価な普通ワゴン車」に乗っていました。
でも、先日「中古の軽自動車」に買い換えました。
理由は「高価な自動車を持つことはあまり意味がない?」と思ったからです。
高価な自動車を持つと「維持費も沢山かかる」のが普通の流れです。
そして、「中古の軽自動車」に変えても僕の人生の幸せ度は全く変わっていません。
安心の度合いは変わっていないのです。
お金が沢山あるから安心をすることは確かに可能なのでしょうが、その安心を手に入れると「次のステップの安心」も欲しくなるのが人間です。
だから、お金を大量に手に入れることで得られる安心は「完全的な安心」ではありません。
お金と言うのは常に世界中に当たり前の様に存在していて、お金を無駄に沢山手に入れたからと言って恒久的に安心できるものでは無いという事です。
急にお金が必要になっても大丈夫です。
諦めてしまえば「お金の価値」に囚われることなく人生を幸せに出来ます。
最後に
いかがでしたでしょうか?
お金と言うのは価値が在るようで、「恒久的に価値は無い」ということがお分かりいただけたでしょうか?
急にお金が必要になっても
「べつにお金、いらないんじゃない??」
と諦めるだけで別の幸せな人生の歩み方が見えてくるかもしれません。
お金がないからと言って不幸とは限らないし、お金があるから幸せとも限らないのです。
最後までお読みいただきありがとうございました。