おはようございます。
ちょろです。
最近、仕事関係でちょっとした出会いがありまして、「不幸になって辛いのに、何で人は生きてるんだろう」と考えさせられています。
その方はご自身のケガで、仕事を続けられなくなって、収入が3か月間ないのです。
しかも、ケガの回復の見込みもない。
彼は、「このままでは今と同じ収入を得ることは見込めない」ので、奥さんと離婚をする決断をされました。
もちろん、彼が下した決断が正しかったのかどうかは分かりません。
この世界に「正解」などないのですから。
ただ、嫌なことが起こっても、人は「朝になると目覚める」のが普通です。
人はなぜ生きるのか?ここ数日、とても考えています。
先に結論を書いておきます。
人は死ぬのが怖くて、今の世界をもうちょっと感じていたいから生きてるだけ
なのではないでしょうか?
きっと「死ぬことの恐怖よりも、今の世界を感じることの方がマシ」だと、意識は感じているのでしょうね。
この世は生きたくなくても生きているばかり
ぶっちゃけると、「この世界で生きる事は苦しい」です。
いいこともあるでしょうが、嫌なことの強烈な記憶は消えません。
だから、気が付くと「この世界って全然楽しくないじゃん」と思ってしまうのが普通の人間なのです。
もしくは、いつもは幸せに暮らしていても、ふとあるタイミングで、「過去の嫌な事」を思い出すように仕組まれているのが人間なのです。
もう、嫌なことばかり続いたら、あなたはどうしたくなるでしょうか?
きっと、「肉体を殺したい」と思うようになるでしょう。
こう思うのは普通の人間の欲だと、僕は思います。
特に過去に、強烈に嫌な体験をしたことのある方は、そう思いやすいでしょう。
僕も無性に死にたくなってしまう事もあるのです。
このように、「生きたくないのに生きている」のが人間だと思います。
死んでしまえばいいのになぜか生きている人間。
それは、どうしてでしょうか?
人はなぜ生きるのか?【死ぬのが怖いから】
人が生きる最大の目的は、「生きるほうが、死ぬことよりマシだから」ではないでしょうか?
いざ、自殺しようと思っても、行動に移すには「かなりの勇気」がいります。
体感的には「ずっと生きている」と感じていますが、実は、朝目覚めて夜になったら寝ることを、繰り返し続けているだけなのが人生なのでは無いでしょうか?
そうやって、その1日の繰り返しを30回すれば一か月。365回すれば一年。
3650回すれば十年です。
当たり前の様に僕達は、80年前後生きますが、それは「一日一日の繰り返し」をし続けているだけなのです。
「今日も死なない選択をしただけ」
です。
つまり、人にとって「死ぬこととは、ここまで勇気がいる事」なのでしょう。
哲学的に言うと、「生きる事に意味なんてない」という表現になります。
意味がないなら、死んだら?と、人間は思うのですが、これまた、「死ぬのってめっちゃ怖いやん」となって、一日を過ごしてしまいます。
そして、眠くなったら寝て、「また朝が来ちゃった、、」と起きるわけです。
僕は「生きる目的を持たなければいけない」なんて思いません。
「ただ、在るだけ」で、あなたにも僕にも価値はあるのです。
(ちなみに、できれば目的があった方が楽しくなれるかもしれません)
それぐらいに「しょうがなく生きている」のが人間なのでしょう。
人はなぜ生きるのか?【今の世界をもっと見たいから】
僕達の見ている世界は、「自分の中」にしかありません。
どういうことかと言いますと、「世界がこんな場所だ」と認識させているのは、僕達の潜在意識だということです。
あなたが今、こうして見ているパソコンやスマホの画面のある世界と、僕がこうしてパソコンに向かって記事を書いている世界は、「全くの別物」だと思います。
いや、ひょっとすると同じかもしれませんが、「あなたと僕で見えている世界は違う」でしょう。
そうやって、意味もなくただ毎日を繰り返して80年前後僕達は生きます。
そこまで死ななかったという事には、「もっと自分の見ている世界じゃない物も見てみたいな」という、欲があるかもしれません。
というのも、僕達の潜在意識が変われば変わった分だけ、世界は変わることが出来ます。
よく実業家の堀江貴文さんが ” 過去の常識に囚われるな ” と仰っていますが、この発言は、よく考えると実に哲学的だな、とも思えるのです。
過去の常識と言うのは「自分の潜在意識が決めた常識」です。
今から僕とあなたが見ていくのは、「今より未来」でしょう。
スピリチュアル的には時間という概念は無いのかもしれませんが、「今」があるだけでも一緒です。
「今の連続」が生きているという事なので、潜在意識の「今」を変え続ければ見える世界は確実に変わっていきます。
「死にたくない」というネガティブな意味で存在する僕達もいますが、前向きに「今俺が見てる世界って、本当はもっと広いんじゃね?」という好奇心で、僕達は生きているのかもしれません。
その理屈は正しいと思います。
沢山、潜在意識が変わった分だけ、僕達の世界はどんどん変わります。
あなたも僕もどんどん変わります。
今手にしている「スマホ」は10年前までは「未知の物質」です。
今は当たり前に、殆どの人が持っていますが、それは「ここ数年で常識になったこと」ではないでしょうか?
人はなぜ生きるのか?【生きてると思っているから】
人はなぜ生きるのか?最後の項です。実に哲学的な話になってしまいました。
「生きてると認識しているから生きてるんだ」
ということです。
めちゃくちゃ当たり前なことを書いてしまいましたが、僕達がこの世界を「ありのままに見れて」「肉体を感じられること」は、生きてることを認識しているからです。
つまり、「俺って、生きてるんやなーーー。」と無意識的に思っているからでしょう。
そもそも、生きているという認識が無ければ肉体はありませんし、世界もありません。
あなたがいなくなっても、世界は同じように存在し続けるのかもしれませんが、それは「あなたのいない世界」が存在し続けるという事になります。
あなたが再び「生きてる」と認識した時点で、あなたは再び「生きる事を開始する」でしょう。
「あーー、せっかく死ぬことが出来たのに、まーた生きないと、いけなくなっちゃったじゃん」
と、ひょっとすると思うかもしれませんが、再び生きていく過程で、その記憶は忘れてしまいます。
その方が「自分の肉体にとって都合がいいから」です、より平和に生きる為には、この世界は幸せな場所なんだと、思えた方が絶対にいいですから。
僕もあなたも、ここにいることは当たり前ではありません。
生物学的には「ご先祖様」がいるから、あなたも僕もいます。
スピリチュアル的には「今の生きてることを認識している自分の意識」があるから、あなたも僕もいます。
哲学的な表現ですが、「生きてると認識しているから生きている」のです。
そして、それを毎日連続し続けているのが、あなたや僕です。
苦しいから「嬉しい」がわかる!
生きていることは「苦しい」です。
間違いありません。
しかし、苦しいという認識があるから「嬉しい」がわかるのであります。
嬉しいばかりの人生であれば、「もっと嬉しい事」が無ければ嬉しいは分かりません。
感覚と言うのは、常に相対的に見ているものです。
ネガティブな捉え方かもしれませんが、「生きる事が苦しいのは大切」だと思います。
あなたはひょっとすると「めちゃくちゃ苦しい状態」にいるかもしれません。
しかし、間違いなくその「苦しい」はあなたにとって必要です。
大丈夫です。あなたには「嬉しい」を感じる価値が間違いなくあります。
だから、苦しいを今感じているのであります。
最後に
いかがでしたでしょうか?
今回は「人はなぜ生きるのか?」ということの考えを、僕なりに書いてみました。
離婚を選ぶのもよし、仕事を辞めることもよし、コロナウイルスから逃げるのもよし、好き放題お酒を飲むのもよし、です。
苦しみの中で「あー、また生きちゃった」と、思いながら笑って過ごせたら嬉しい人生になるかもしれませんね!